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山口県指定無形民俗文化財
本山神事

本山神事は、元禄十五年(一七〇二年)に第三代徳山藩主毛利元次公が、災害を機にその年の五穀豊穣・無病息災を願い奉納したことを始まりとします。
現在は九月の第四土曜・日曜に斎行される山﨑八幡宮の秋季例大祭の際に奉納され、周南地域の壮大な秋の風物詩として、地域の皆様の方から愛されています。
 
この神事は稲の穂がはらんだ後に起こる鳥害や自然の災害を防ぎ、豊作と氏子の繁栄を祈願するための予祝神事であるといわれています。釘1本使わず、葛(かずら)で締め上げ組み立てられた本山と呼ばれる山車を境内の急な坂から落とし、その傾きによってその年の豊作を占います。
山車に取り付けた御神松の御幣を奪い合う様子は迫力満点・圧巻の光景です。江戸時代から続く古来の慣わしを今に残す、非常に貴重な神事であるとともに、本山神事保存会の皆様をはじめ、多くの方のご協力によって本山神事が守り伝えられている点が高く評価され、平成二十二年には山口県の無形民俗文化財に指定されています。

本山神事の流れ

1.神事始祭
神事始祭は本山神事当日の10日前に行われ、稚児の社参と関係者を祓い清め、本山への乗り込みに備えるための儀式です。
稚児は毎年持ち回りで当番地区の自治会から7・5・3歳の男子2人が選出され、羯鼓(かんこ)行列と本山に乗り込みます。
神事始祭には宮司をはじめとする神職、責任役員、本山頭領、保存会会長、稚児2名とその保護者、稚児選出地区の自治会長及び関係者が参拝します。
修祓、神事始の祝詞奏上の後、各代表者が正面に進み、玉串拝礼を行います。
神事後、稚児には御幣が渡され、本山神事当日まで自宅でお祀りします。
この日から当日まで稚児が精進・潔斎をするのが習わしで、稚児は御幣に朝晩拝礼をします。
乗組員は社務所に集まり、舞や楽器の音合わせが行われます。

2.引き綱作成
山車を引くために用いる長い2本の引き綱は、平野上西地区と大神地区の自治会氏子の皆様によって毎年奉製されます。
大神地区は地区内の路地で、手作業で行われており、わら縄12本を道路上に伸ばし、その12本の両端を木の棒にくくり、両端の棒を持ち互いに引っ張りながら縒りをかけ、太い縄を作ります。
その太い縄を3本作り更に三つ編みを行うことで、1本の引き綱を作り上げていきます。
引き綱の直径は約9㎝、長さは約50mにもなります。
その引き綱を直径1m程の輪にまとめ山崎八幡宮に奉納します。

3.撒き花・散花の作成
本山に乗った頭領は、祝詞奏上と舞の神事を計4回行いますが、2回目と3回目の際に「撒き花」をまき、4回目の時に「散花」をまきます。本山上で神事を4回行うことは四季や一年を表し、桜を撒くことは豊作予想を祝うこと、また願うことを意味しています。
この花は、巫女が手作業により花600個、散花24枚奉製します。「撒き花」の材料は障子紙と藤カズラで、障子紙は食用色素で緑色と黄色と赤色に染めます。
緑色は葉に、黄色と赤色はオシベとメシベの部分に使用します。
花びらは桜の形に折って切り、白地にふちの部分だけ筆で赤く染め、藤カズラを茎にしてオシベとメシベを花びらに通します。
この撒き花は縁起物であるといわれています。

4.山車作り
山車にはカズラ・竹・松が用いられ、保存会が中心となり近隣の山から事前に採取します。
そして神事の3日前より、山車作りが行われます。
朝、山﨑八幡宮拝殿に参集しお祓いを受け、富田中学校東側道路で早朝より山車作りが始められます。
まずはカズラの破断面に鎌などで切り口を入れ、縦に長く裂き紐状にする作業から始まります。
また、神事の中心となる本山と呼ばれる山車の他、爺山・婆山と呼ばれる小型の山車の奉製も行われます。山車には釘を一本も用いることなく、計450キロものカズラで縛って組立ていきます。
大人が10人乗り込む本山は、長さ6.2メートル、高さ4.8メートルにもなり、特に安全性が求められるため、カズラをしっかり締めながら作業が進められ、側面には長い丸太を交差させ強度を増していきます。
上部(天井)及び後部には幕が張れるように竹枠を組み、床台の後部にご神松として飾り松を取り付けています。
山車に付けているカズラを輪にした飾りは、お宮の紋を意味しています。

5.山車の飾りつけ
本山神事当日には、山車を幔幕(まんまく)や提灯で飾り付けるなど、神事に備え早朝より作業が始められます。
爺山と婆山は青白の横縞の幕で飾られ、爺婆の面をつけた爺婆人形を取り付けます。人形の本体はおよそ1.9mで、山車に取り付けられるまで境内の中央鳥居に安置されます。
爺人形は、紫色の着物にクスデを持っており、婆人形は黄土色の着物に竹ホウキを持っています。
本山も青白の横縞の幕を張り、前正面は柱や角を紅白の布で巻き、提灯が付けられます。
そして、正面中央の上下2カ所に3色の房を取りつけます。

6.子供みこし・女みこし、羯鼓行列、本山神事
午後三時からは、多くのお子様・企業の方々にご参加いただいての子供神輿・女神輿が参道を練り歩き、本山神事にさらなる活気と彩りをもたらしてくれます。また、羯鼓(かんこ)と呼ばれる本山に乗る7歳・5歳・3歳の男の子を花かごに乗せた、羯鼓行列が御旅所から山﨑八幡宮へと進みます。

午後五時からは、市内のスポーツ少年団の子供達が引き綱を手に山車に向かい、爺婆山が出発します。
この時、鳥居に安置されていた爺人形、婆人形も裸坊にかつがれ山車に向かい、取り付けられます。
先に爺山の前輪車軸に引き綱を取付け、裸坊の先導と掛け声で八幡宮に向け出発します。
山車の引かれる距離は出発点から境内中段までおよそ150m、途中裸坊の持つ棒で車軸の向きを何度も調整し、10~15分で境内中段まで引き上げます。
境内中段の手前には急な坂 (勾配はおよそ30°、距離は10m) があり、裸坊の加勢により引上げられます。
そして、爺山の向きを180度回転させ人形が乗ったままの状態で坂に突き落とされます。
坂の下部には溝があり、山車はそこで止まり、裸坊がカズラを切り解体し、次の山車に備えられます。
婆山は爺山と同様に引き上げられ、登って来た坂を突き落とされます。
爺婆山を落とした後は、爺婆人形は元の鳥居の位置へと戻されます。
拝殿でも午後5時から本殿祭が行われ、御本殿の中でお鎮まりになられる御御霊(おみたま)を御鳳輦(ごほうれん)へと移す、本殿祭が斎行されます。
神輿の担ぎ手と、各自治会から選出されたお供人はお祓いを受け、御神幸の行列を組みます。
行列は東側の階段から境内中段に下り、中段広場を右周りに3周回って中央鳥居の前面脇に神
輿・神具を一旦置き、本山の引き上げを待ちます。
午後6時頃、いよいよ2本の引き綱を付けた本山が出発します。
地元の有志・企業の若手社員・近隣の学生等およそ100人で本山を引いていきます。
引き手をまとめる者は裸坊(ハダカ)と呼ばれ、裸坊は10名程度の氏子が担当しています。
本山の乗組員の役割は、舞人の獅子・采振り・太鼓・鼓・横笛で、獅子は本山頭領の役目です。
獅子の衣装は、頭に鳥の嘴を表すとされる帽子のひさしに似たものが上下2枚ある被り物をし、目から下の顔面を赤い布で覆っています。
本山が動き始め、突き落とされるまでに獅子による舞と祝詞の神事が4回行われるます。
1回目は、本山が出発する直前に富田中学校東側道路にて、本山上で獅子が祝詞を奏上し、笛・太鼓・鼓に合わせ榊と扇子を用いて舞を舞います。
2回目の神事は参道途中にある自治会館前で止まり、羯鼓行列後待機していた2人の稚児と保護者が本山に乗り込みます。
獅子の舞と祝詞の後、乗組が撒き花を撒き、3回目は境内坂下の前で、ここでも同様に舞と祝詞後、撒き花を撒きます。
稚児は本山を降り羯鼓行列と合流し、西と東の階段に分かれ境内中段に上がります。
稚児を降ろした本山は乗組を乗せたまま坂を引き上げられます。
引き手は中央鳥居の階段の上部まで並び、また裸坊は坂で引き手に合図しながら棒で車軸の向きを何度も調整し、安全に配慮しながら引き上げます。
中央鳥居の前まで引き上げられると引き綱は外され、稚児が再び本山に乗り込みます。
御神幸祭により、既に中央鳥居の前面脇に置かれた神輿を鳥居の前に移動して本山と対面させ、神職による対面儀式が行われます。
神輿の前で、神職による修祓のあと巫女舞が舞われ、宮司・役員・総代・お供人等が玉串を捧げ御祈願します。
そのあと本山上で獅子が4度目の舞と祝詞を行い、対面儀式が終了後、御神幸列は境内中段を1周して拝殿へ戻り、還幸の儀を行います。
そして稚児と乗組が降りて、飾りが外された後、裸坊の手で本山の向きを180度回転させ、八幡様へと願いが届くように、本山が勢いよく落とされます。その直後、山車を追いかけながら、多くの参列者が縁起物とされる御神松や御幣を奪い合います。また、落とされた後の山車の東西の傾きによって、豊作の善し悪しを占うことができるといわれております。

7.山解き
突き落とされた本山は半分瓦解した状態で放置され、翌日の午前中約2時間程度で総代・大工・保存会によって山解きが行われます。
山車は解体して部材は元の倉庫に戻し、取り外された御神松とカズラは八幡宮で焼却されます。
時代や街のあり方の変化によって、全国的に多くの神事が消滅している現代ではございますが、地域の歴史と絆を感じることのできるこの本山神事を次の世代にも引き継ぐことができるよう、守り続けていきたいと考えております。ふるさとの伝統を今に伝える本山神事を、どうぞお楽しみください。